日中経済協会上海事務所 大分県経済交流室 駐在員レポート
求む日式安全管理
     久しぶりに日本に帰って、バスに乗った。

     運転手は、お客さんが乗って、席に着くのを確認してから発車する。バス停に着いたときは、バスが止まってから席を立つように注意し、お客さんが完全に降りてからドアを閉めて発車する。日ごろ上海の粗暴運転バスで脳みそがシェイクされるほどに揺すぶられている私にとって、このような当たり前の安全管理にカルチャーショックを覚えた。

     上海では、バスに乗るのも闘いである。乗るときはぎゅうぎゅう詰めに詰め込み、ドアに人間がはさまれるのは日常茶飯事、というかドアがパッカー車の蓋のようになって人を押し込む状態。降りるときは、早めに準備をして出口にたどりつけなければ降りられずそのまま発車してしまう。人が降りるか降りないうちに車は動き出す。運転は激しく、急発進、急ブレーキ、急ハンドルは当たり前で、たまにけが人が出ても乗員は知らん顔である。すべて客側の自己責任の世界だ。運転手によっては、暴走を楽しんでいる風のものもいる。客は単なる貨物でしかない。

     人間の扱いでもこうだから、荷物の扱いとなるとさらにひどい。宅配業者が仕分けとかをしているところでは、平気で荷物を土足で踏んづけている。道端などで運送業者が荷卸ししているところを見ると、「投げないものはない」。投げられる重量のものは必ずといっていいほど投げている。重いものはさすがに投げるほうがくたびれるのだろうが、これがまた「天地無用」を無視。エアコンだろうが冷蔵庫だろうが上も下もない。己の仕事は「運ぶこと」だけだから、荷物が壊れないように梱包するのは荷主の責任だということなのだろう。

     こうした世界で「絶対に投げない」運送屋を経営できたら、絶対にはやると思う。
【 もどる 】    【 Top 】